「師」のつく職業について考えてみる

「師」のつく職業について考えてみる
 しばらく前,知人との会話の中で調理師の「師」という文字の意味するところについて色々と教えてもらったことがある。

 辞書によれば(広辞苑から出典)、
1:学問,技芸を教授する人,師匠。先生
2:僧侶,伝道者など宗教上の指導者
3:専門の技術を職業とする者
 とある。
 
 俺は長いこと医療給食を相手に商売をしてきたが,あの人達は「調理師」ではなく「調理員」と呼称されるのが一般的だ。「師」ではない。
 学校の同級生には電気保安協会の支部長がいるが、彼の名刺には「保安技師」と刷られている。俺が若い頃に取得した資格の一つに電気工事士というのがあるが、「士」であって「師」ではない。指導や教授を行う立場ではないから作業員の資格,ということになるのか。
 また,会計士や弁護士といった職業の「し」は「師」ではない。技術職ではないから,という理解でいいのかとかあれこれ考えた。

 まあ,俺なりのまとめ方としては「師」のつく生業というのは上にあるように専門の技術を職業としており,体系だった知識を他人に教授できるような人,という理解の仕方だ。
 ここでついでに,調理員とか作業員の「員」という文字の意味するところをまた広辞苑から引いてみると,
1:かず、人数
2:団体などを構成する人
とある。横並びで同じような立場の者がおり,その人は指導や教示を行う者ではないというニュアンスがありそうだ。

 こういう定義を俺の実務に引き寄せてみると例えば,スチームコンベクションが故障したから、或いはないから仕事ができないなどいう人は「調理師」とは言えないのではないのか。
 俺が尊敬する某ホテルの料理長殿はあるときタッチキーを押してジョグダイアルを回す仕草をしながら「あれはもう,調理じゃなくて操作だね」と苦笑しておられた。
 何でもかんでも職人技の手仕事が良いのだとは言わないが,電気仕掛けで制御される機材がないと調理の仕事ができないような者を「専門の技術を有する者」とは認めたくない,そんな連中と一緒にされたくはないな,という挟持の現れなのだろうとそのとき俺は解釈した。

 余談だが,中国料理の世界には「廚師」という呼称があるとあるとき俺はある得意先から教わった。医食同源が中国料理の世界にある考え方であり,廚師というのは調理師に加えて医者とか栄養士的なセンスを併せ持った調理師で、料理人としては最上級にランクづけられるのだそうだ。

 これまで何度か書いてきたようにある頃から俺は同業者を技師(Engineer)と労働者(workman)とに分けて見るようになったが,調理業務に携わる人にも同じような分別はあると言うことだ。
 調理と機械いじりとでは別の業種ではあるがここには構図の類似性がある。前の記事で書いたように,例えばコンビニのフライヤーを一日何台修理したとかいう類いの自慢話はワークマンのものであってエンジニアのものではないように、マックで何年とかワタミで何年とかいう勤務歴は調理師のものではない,というのがしかるべき職務経験を積んだ調理師からの見え方なのだろう。

 こういう分別は当然あって良い。良いのだが肝心の喫食者や厨房機材の使用者にはこういう識別がまるっきり出来ておらず,そんなことはどうでもいいというのが調理師なり技師なりにとってはやり切れない現実だろう。コックコートを着てカメラに向かって腕組みをしてふんぞり返っていれば誰でも一端の調理師に見えるように,作業服を着て道具箱をぶら下げていれば誰でも同じく一端の技術者に見えるようだ。
 
世の中どうも悪い意味で便利になり過ぎている傾向があるようにある時期からの俺は考えている。ハンチク者でも一端の顔が出来ることを可能にする便利ツールが一杯あるのは必ずしもいいことではないようにここ数年の俺は思い始めている。便利ツールは必ずしも万能ツールではなく,どこかでハンチク者の馬脚が現れる,そのとき状況は酷くややこしいことが多いのだ。こういう場面を乗り切れるのはやはり「〜師」のような本当のプロフェッショナルなのだが分野によらずそういう人は存在理由が薄まりつつあり,減少する一方ではないのか。専門的な技術や知識などなくても業種を問わず,「〜師」という職業の方々にとっては受難の時代のように思える。
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